リレーエッセイ

第 5回
H20.03.31掲載

第 4回
H19.11.19掲載

第 3回
H19.08.28掲載

第 2回
H18.10.03掲載

第 1回
H18.09.01掲載

第5回

私が山に登るわけ

 思えば子供の頃から高い所が好きなお転婆だった。庭の大きな松の木に登り、鳥になった気分でいたら、いつも祖母に危ないと叱られた。そして裏山を走り回って遊んだ。小学校の頃には先生や友達と近くの城山によく登った。山頂から町を眺めると車や列車がゆっくりと動いていた。中学校の頃にはサイクリングで三原の筆影山に登った。多島美の瀬戸内の海は静かに輝いていた。行き交う大小の船はまるで停止しているかのようだった。高校時代には大山に登った。といっても、登山途中で雨が激しくなり震えながら下山した。山の木々や眺望の記憶は全くなく、麓で食べた温かいお蕎麦が美味しかった事だけを記憶している。
 それからしばらくは山とは疎遠になっていたが、十数年前に由布岳に登った。若い人について行くのがやっとで頂上近くは這いつくばってのしんどい登山だった。その分達成感もひとしおで、素晴らしい眺望にとても感動した。(下山したら車の中においていた財布からお札だけが全部抜き取られていた。登山メンバーの半数近くが被害にあった。)この悲喜こもごもの由布岳登山をきっかけに毎年何度か久住の山々を訪れるようになった。そして近頃は週末に近場の山歩きを楽しんでいる。山では日々の喧騒から開放されリフレッシュできる。山頂では、ひと時鳥のさえずりや木々の間を吹き抜ける風の音に耳を傾ける。そして真っ青な空とゆったり流れる白い雲を眺める。そのとき悠久を感じる。すると、今ここに居る自分がとても小さい存在に思えてくる。愚痴を言ったりくよくよしている自分が馬鹿らしく思えてくる。こうして山にストレスを預け、私は元気をもらって帰ってくる。しかし、翌日は必ず筋肉痛が待っている。
 山歩きの楽しさには、自然界の鳥・樹木・草花との出会いもある。何度登っても毎回山は違った顔で迎えてくれる。山野草には華やかさは少ないが、凛とした気高さ、健気さ、逞しさを感じる。つらい登りの途中でツルリンドウやカタクリの花に出会うと疲れも忘れてしまう。
スギ花粉が静まる頃また山好きの血が騒ぎ出す。皆さんも山歩きを楽しんでみませんか?

病棟看護師長 T

第4回

方言について

 早いもので、こちらで働かせていただくようになって5ヶ月ちょっと経ち、ようやく仕事に慣れ始めてきました。その間皆さんにはいろいろとご迷惑をお掛けしました。
 山口県に帰ってきて印象に残ることは色々ありましたが、その中でも一番印象的だったのは「方言」がこんなに表現豊な言葉だったのかということです。なんだ「方言」のことか? それがどうしたのだと思われるかも知れません。たぶん普段使われている皆さんには当たり前すぎて、それを感じていなかったり忘れられているのではないかと思います。
 長く故郷を離れ、異国で違った暮らしをした人間にとって30年ぶりに使う「方言」は、無意識に使っていた子供の頃と違って一言一言に新鮮な響きがありました。そして、それが大変繊細で豊な表現ができる言葉であることにあらためて気がついたのです。
 海外や地方出身者が集まってできた東京のように、異なった文化の人間ばかりの場所に長く暮らすと、知らず知らずのうちに言葉は相手に自分の意思や意図を伝え、また逆に相手の意思や意図を理解さえ出来ればいいだけの手段として考えるようになっていたようです。言葉を道具のようなものと考え、すっかりやせた言葉に慣れてしまっていたようです。
 例えば「○○さんは△△は知っちょってじゃろうがー、それじゃから××しちゃあいけんよ」という表現は、標準語では「△△はご承知でしょう。それであれば××はしてはいけませんよ」となるわけですが、同じ内容とはいえまるで違う感じを受けます。その話をしている人が相手に対して大変気を遣い使いながら、その話をしている事を相手に伝えることができます。「ちょる」とか「ちゃった」が入ると、ストレートな表現や固い形式的な敬語とも違った、その中間くらいのとてもまろやかで優しい言い方だと感じるのです。内容は同じでも「方言」では相手を慮る(おもんばかる)気持ちをよく表現する事が出来ます。
 こんな調子で私には「方言」で語られる会話には相手のことを慮って話している事がよく伝わり、相手を尊重した人間味ある会話だと感じられるのです。
相手のことを慮って話していることが感じられる話し方と、その表現のないストレートな言い方では、内容は同じであってもそこにできる人間関係はまるで違うものになります。このように繊細で豊な表現ができる「方言」を使っている人たちは、お互い相手に気を遣いながら相手を大事にしている文化を持っている人たちであり、またそのような文化がそういう表現のできる「方言」を作ってきたのだと思いました。
そんな故郷に帰ってきたのだなあ、とつくづく思う今日この頃です。                              総務  S

 

第 3回

有料老人ホーム沙羅樹館について

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらわす。」日本を代表する古典、軍記物語冒頭の著名な一節であります祇園精舎は、中天竺舎衛国に建てた寺であり、沙羅双樹は、釈迦入滅の折、沙羅の林(日本で言う夏椿の林)が二本のみ白色に変じたという、釈尊といえども人間は人滅即ち死を免れぬ人生の無常を書き記しています。その後「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし、たけき者もついにはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」と続いています。
 思い上がって勝手な振る舞いをしている人も、元気で今をときめいている人も、壮強で健康で元気一杯の人も、栄耀栄華を誇った人も、いずれ滅亡の運命にさらされる運命にある。と書きしるしています。人生はかぎられた命。定められた時間であり、いつかはほろび、衰え死に向かう運命をもっております。私は木村脳神経外科を開業し三十余年、医療をもって人の死をできるかぎりおしとどめようと思っておりました。またそれが可能とも考えておりましたが、それは不可能なことを学びました。
 十一年前、安心して老後を過していただくことができるようにと、尚歯堂(高齢者を思いやり、いたわる施設)と、老人保健施設を設立しました。厚生労働省の政策に従った老健施設は何とも中途半端で、痛み衰え不安を抱えた高齢者が安心してくらせる場所にはなりませんでした。より安心して終のすみかとしてくらせる、全個室、ユニットケアの特養が理想的施設としてまめ舎を設立しました。
 しかし、現場を知らない監督管理を行う国保・市の担当者の様々な規制は、私の理想とするものとはあまりに解離しました。人生でいえば林住期となり自分の生の決算を静かに見守る年代に入りながらも、不遜にも国や県や市など行政が口出しできない施設を思いどおりに作ってみたいと思ったのです。その現実が、沙羅樹館となる様に願っているところです。
 自分の一生が世の為、人の為になることが出来れば、私の人生は大成功だったと考えています。全職員の皆様に全面的な協力をいただき、至らぬところは数多くありますが、理想の施設を築き上げたいと思っております。
 最後に私の好きな言葉
『富貴にして淫せず貧賤にして樂しむ。男児此に到らば 是豪雄』
                            程 明道
自反而縮雖千萬人吾往矣

木村 練

第 2回

私のストレス解消法

 検査室のH.Tさんからバトンを渡されてしまいました。
エッセイの内容にふさわしいテーマを考えてみたものの、普段から文章を書きなれていないもので、いいものが思い浮かばず、H.Tさんのエッセイつながりで、ストレス解消法について書こうと思います。

 私のストレス解消法は、美味しいお店で食事をする事です。
 やはり、普段、ゆっくりと食事をとることができない生活をしていますので、週末に時間をとれる時は、お気に入りのお店にいってゆっくり食事をし、会話を楽しむようにしています。そして、美味しいものを食べること以上に取り組んでいることがあります。それは、美味しい食事を出してくれるお店を自分の足で見つけ出す事です。ガイドブックに頼らず、自分の足で現地まで行き、目と耳と直感を信じて入店します。
外から見た店の雰囲気だけで飛び込んでがっかりする事もしばしばありますが、店内の雰囲気や食事が美味しかったりしたら、日頃のストレスなんて忘れ去ります。

 これが私のストレス解消法かな?

 ちなみに、普段はMバーガー・牛丼のS屋・餃子のO将などなど、早い・安い等に重点を置いた食事となっております。

放射線 S.S

 

第3回目は11月に更新予定です。

第 1回

愛犬レオとの出会い

みなさんは、犬が好きですか?私は子供の頃に、犬に追いかけられた恐怖から犬嫌いになってしまいました。そんな私がゴールデンレトリーバーのレオの飼い主になって、早いものでもう10年が過ぎました。レオを迎えるきっかけは、当時小学生だったひとり息子がどうしても犬を飼いたいと言い出したことでした。それも大型犬がいいと言うので、私にとっては一大決心でしたが、ゴールデンを飼うことになりました。

生後30日のレオが我家に来てからというものは、まさに“犬育て奮闘記”の始まりでした。でもゴールデンは人間が大好きでとても穏やかな犬種なので、私もレオのことが大好きになりました。レオのお陰で知り合いもたくさんできたり、いろいろな散歩コースを見つけたりと楽しい思い出ばかりです。レオと一緒にがんばって受けた家庭犬の訓練試験や泊りがけで旅行に行ったことなども、忘れられない思い出です。レオは室内犬で夜はほとんど台所か廊下でゴロゴロしていますが、ある日私たちが大きな声で夫婦喧嘩をしていると、鼻先で部屋の障子をひょいと開けて、素早く私たちの間にレオが入ってきました。レオなりに何かを感じて喧嘩の仲裁をしにきてくれたのでしょうか。私たちの夫婦喧嘩は、レオの仲裁で笑いに変わり一件落着です。

私のストレス解消法はワインを飲むことですが、ワインのコルクを抜くとレオの目は輝き出します。もちろんお目当ては、おつまみのチーズなどです。レオとおしゃべりをしながら、ワインを飲む時間は私にとって至福のときです。犬嫌いの私でしたが、今ではすっかりレオが私の心を癒してくれます。いつもありがとう、レオ!

 

                                検査 H.T